「 アジア海域で止まらない中国 」
『週刊新潮』 2010年8月5日号
日本ルネッサンス 第422回
7月25日から28日までの4日間、過去最大規模の米韓合同軍事演習、「不屈の意志」が日本海で行われた。
横須賀を母港とする原子力空母「ジョージ・ワシントン」を主軸に、艦艇約20隻、航空機約200機、人員約8,000人を投入した演習だった。日本の海上自衛隊の幹部4人もオブザーバーとしてジョージ・ワシントンに乗艦したが、米韓軍事訓練への自衛隊の参加は初めてである。
訓練は北朝鮮の潜水艦の探知、捜索、攻撃などを想定し、第5世代戦闘機F22も4機投入された。演習の規模や内容から判断すれば、米韓両国の意思は固く、投入し得る軍事力は強大に思える。だが、仔細に見れば、「不屈の意志」には中国が色濃い影を落としているのが見てとれる。
「北京コンセンサス」という言葉が浮かんでくる。かつて、国際社会では「ワシントンコンセンサス」が囁かれた。米国の了解や合意なしには国際社会のルールは成立しない、ルールは米国が作るという意味だ。いまそれが、アジア海域で北京コンセンサスにとって代わられつつあるのではないか。そう思わせたのが「不屈の意志」だった。
そもそも、同演習は3月26日、韓国の哨戒艦、「天安」が北朝鮮に撃沈されたことをきっかけに立案された。だが、北朝鮮は「北朝鮮犯行説」に烈しく反発、未だに事件への北朝鮮関与説を「創作劇」だと主張し、韓国に「北朝鮮非難を謝罪し、事実を認識せよ」と要求する。
中国は国連安保理における議論では徹頭徹尾、北朝鮮の側に立った。引き揚げられた天安の傷跡が立証した魚雷攻撃の証拠、或いは撃沈現場の黄海海底から回収された北朝鮮製魚雷の部品など、どのような物証を示しても、中国は納得しなかった。
圧倒的軍事力を有する中国
最終的に、国連安保理は7月9日、「天安撃沈につながった攻撃を非難する」としたが、北朝鮮の名指しは避けた。韓国軍民による合同調査で北朝鮮が天安沈没に責任ありとした結論を「考慮し、深い懸念を表明」した一方で、「無関係だと主張する北朝鮮の反応にも留意」するとの議長声明をまとめたのだ。中国の反対で、北朝鮮制裁はおろか非難決議も出来なかったわけだ。イランの核開発疑惑に関しては、シブシブながら追加制裁決議に同意したのとは対照的に、中国と国境を接し、それだけに中国の国益に直接関わってくる北朝鮮問題に関しては、米国の影響排除を徹底させたのが中国だった。
この国連議長声明から2週間後、ベトナムのハノイでASEAN地域フォーラム(ARF)が開かれた。焦点は2つ、天安事件に関して北朝鮮非難をどのようにまとめるか、南シナ海の西沙、南沙両諸島をめぐる中国対ASEANの対立にどのような解決の道筋をつけるかである。
前者についてクリントン国務長官は北朝鮮の責任を厳しく追及、「挑発的行為をやめ、隣国との関係を改善すべきだ」と要求した。同長官はARFに先立って、ゲーツ国防長官と共にソウルを訪れ、初めて米韓外相・国防相会談(2プラス2)を開いた。その後、わざわざ4者揃って38度線の板門店に出向き現地を視察してみせた。「米国は韓国と共にある」との強いメッセージを北朝鮮、そして中国向けに発信したのだ。
これほど意気込んで臨んだのに、米国はARFでも中国の外交攻勢に競り勝つことが出来なかった。日米韓の強い要請にも拘らず、ARFではまたもや北朝鮮の名指しは行われなかったのである。
後者の南シナ海問題では、南シナ海の西沙、南沙両諸島の領有を主張する中国に対し、ベトナム、台湾、マレーシア、ブルネイ、フィリピンなどが異議を唱えてきた。しかし、圧倒的軍事力を有する中国は、現在、これら諸島を実効支配する。
中国はこれらの国々との二国間交渉で、個別撃破を狙ってきたが、ASEAN側は多国間交渉を主張し、米国を引き入れ、味方につけたい考えである。クリントン長官は「南シナ海の航行の自由は米国の国家利益だ」と発言はしたが、同発言は、ARF閣僚会議終了後のことだった。ASEANは米国関与の可能性を引き出しはしたが、米国はあからさまな介入には依然、慎重である。
米韓合同演習はこうした複雑な事情の中で行われた。国連でもARFでも、米中の鬩(せめ)ぎ合いが顕著だったように、「不屈の意志」の立案、実行においても、米国は中国の強い姿勢の前で変更を迫られた。
軍事演習は、当初、撃沈事件が発生した黄海で演習すると5月24日に発表された。だが、国連安保理で中国の協力を得るための外交的配慮として延期された。その間に中国は、一貫して北朝鮮を擁護しつつ、「中国近海への外国艦艇の進入は中国の安全を侵す」と米国を牽制し始めた。中国メディアには「中国の安全保障への挑戦」「米中に海上衝突の危機」などの非難の声が載った。報道は中国政府の意向であり、7月17、18日の両日、中国海軍は黄海上で米国牽制が明らかな軍事演習を断行した。
毅然とした対中姿勢を保つ
対して米国は妥協した。演習海域を黄海から東の日本海に移したのだ。中国の言い分を米国が聞き入れたのである。眼前に出現した現実は、黄海や東シナ海、さらには南シナ海など中国の周辺海域のルールは中国が作るということである。今年5月3日、中国の艦船が東シナ海で日本の海上保安庁の測量船を、中国の海から退去せよといって追い回したことを、私たちは思い出すべきだろう。
ここで必要なのは日米韓のさらなる協力である。3国が協力して毅然とした対中姿勢を保つことだ。だが、米国は、軍事的には中国を警戒しながらも、米中が合体したかのような経済交流のなかで身動きが取りにくい状況になっている。したがって米国の対中姿勢は思わぬところで揺れる。南シナ海の航行の自由の担保のように、自国の権益に関わりのあることでは発言するが、たとえば、ベトナムに人権状況の改善を要求しながら、ベトナムよりはるかに人権弾圧の厳しい中国の人権問題には口を閉ざし続けるように、極力、米国にとって不必要な中国との対立や摩擦を避けるのが米国外交の現実だ。
韓国は米国と共同歩調をとりながらも、危うい要因を抱え込んでいる。表向きの対北強硬策とは裏腹に天安事件発生直後、李大統領は北朝鮮関与説を意図的に排除しようとした。事件発生から約3週間後の4月15日、韓国の世宗研究所は、なんと、第3回の南北首脳会談を成功させようというセミナーを開催した。李大統領はともすると北朝鮮の脅威から目を逸らし、親北朝鮮に流れがちなのだ。それは中国の思惑に沿った中国支配の朝鮮半島を作ることである。
この厳しい周辺状況の下、日本の国運をかける意気込みで防衛力の強化整備に集中しなければならない。